宗教儀礼を考える③ ご先祖様を拝む

『逆説の日本史』シリーズを書いている作家の井沢元彦氏の持論として、「宗教を正しく理解しなければ正しく歴史を理解できない」としています。確かに、井沢氏の本を読むと目から鱗が落ちるような発見があります。実際、世界を見渡すと、現在でも各地で戦争が起きており、その背景に宗教が絡んでいることもしばしばです。井沢氏によると、各地で起きている問題を領土や利害だけで理解しようとするから全体像を正確に捉えられないのだそうです。宗教のために人を殺したり、自爆したりというのは現在の日本人の感覚からはなかなか理解できませんが、自分たちの信じる神様以外は全て偽りのものなので、その「偽りのもの」を信じている人達を殺してしまったり、神様のために死ぬことが最高の栄誉だという考え方があるようです。外国映画などでは神様に祈りを捧げ、神様に感謝し、神様に懺悔するシーンが見られることがありますが、生活や道徳の規範が特定の宗教であることがよくわかります。さて、私たち日本人の話になりますが、私は日本人は宗教心がないとは全く思っていません。いくら幕府や政府の強制があったとはいえ、神道にしても仏教にしても、何百年も続いているという事実は無視できません。よく言われるように、日本には八百万の神様がいらっしゃるため、その地方、というよりその時その場でそれぞれの神様にすがるというのが一つの信仰のスタイルなので、神社にも行くし、お寺にも行くのでしょう。勿論、本来はキリスト教の宗教行事であるクリスマスを楽しむなどということに抵抗のある人は、まず、いないでしょうし、むしろ盛り上がる一方です。失礼な言い方をすると、自分たちの都合で、その場その場で神様や仏様を選んでいるという、実に恐ろしい?ことをしているのです。ところで、私が一番日本人の宗教心を感じるのは、ご先祖様を大切にするという考え方があることです。お墓参りでもそうですが、多くの人達にとっては、ご先祖様は仏様であり、神様であるように考えてお参りをします。仏教の多くの宗派の考え方では、拝む対象はあくまでも仏様であり、その功徳を亡き人に振り向けるはずなのに、拝んでいる人の頭の中には、恐らく亡くなった親であるとかご先祖様しか浮かんでいないのではないでしょうか。知り合いのお寺様によると、お墓参りに来る人の多くが、本殿、つまり仏様をお参りしないで、直接自分たちの先祖代々のお墓のところへ行ってしまうと嘆いておられましたが、それは仏様を敬っていないとか、お寺様の指導?が足りないということよりも、その人達にとっては、自分のご先祖様が何よりの信仰対象になっているということなのでしょう。正しいか正しくないかは別として、そういう気持ちも立派な宗教心なのではないでしょうか。

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